神社(直島)に使った光学ガラスと著莪の緑
ART STATION 通信 #5
田園調布の住宅      
外観全景
壁は大津壁左官仕上げ、開口部は木製建具、下屋根はサワラ板をへぎ割をした柿葺き(こけらふき)、垣根は黒竹の竹穂垣、伝統的な工法や自然素材を今の感覚で設計し直した。竹穂垣の奥は居間、左側の露地を入ったところが玄関になっている。
大屋根の軒の出は4寸(約120cm)、出寸法と勾配とで大幅に印象が変るので何種類も模型を作った。最終には山形の加工場で原寸模型を作ってもらって決めた。構造垂木を屋根中に隠し、軒下空間にあった寸法の化粧垂木を設けた。現代的になりすぎず、かつ軽く差し掛けたようで気に入っている。
玄関露地を外から見たところ
これだけ緩い勾配の柿葺きを作るのには防水紙を挟み込むといった工夫が必要だった。
「茶室を設計した」                   

住宅に二畳の茶室を設計する機会を得た。住宅の中に入れ子のようにしつらえたものなので純然たる茶室とは言い難いが、炉もあり躙り口も洞庫もあるのだから一応のものだ。
「二畳席」の茶室は茶道が始まった頃のストイックな気分が残されているようで、以前から自分でも図面をおこして楽しんでいた。しかし、現実に作るとなると様子が違った。
小さな「二畳席」だから隅炉と「床」の関係は作法上からも自ずと決まる、これは何とかなった。しかし茶室の壁面となるとそうはいかない、誂え向きの参考資料がある筈もなく、茶室を構成する壁面要素(躙り口・障子・下地窓、等)の寸法や相互の関係をいちから考えて作り上げることになった。
下図の障子を決めるときには、「縦横比例が正方形では安定しすぎて視線の流れを止めてしまう」とか、「横長にし過ぎると水平の動きが強くなりすぎて、『床』の落ち着きが損なわれる。」などと、決めていったのだ。
接近して開口部があるときはその関係も吟味する必要があった。たとえば障子と洞庫との相互の関係だ。

自分の好みもあって、互いを離しておきたかったから、細長い土壁をあいだに設けることにした。すると二つの建具がいくぶん自由な関係になった。
つぎは互いをどう配置するかだ。「障子と洞庫の重なりが少ないとぶつかった感じが強くなる」、「多くすると細い壁が窮屈になって上下一体の印象が強くなる」その結果、重なり寸法を9寸と決めた。
更に細かくて恐縮だが、障子と洞庫の枠の角(つの) が下へ右へと小さな運動を作っていて少し騒がしいので、障子枠の角の下がりを僅かに小さくして下向きの力弱めた。
最終的には、障子と洞庫が「つかず離れず」(変な喩えだが)の関係になるように隙間の間隔を決定した。
「床」は「待庵」を参考にほぼ同じように作ってみた、天井高5尺4寸5分(1651ミリ)、間口3尺8寸3分(1160ミリ)だ。「むろ床」で土壁が天井へと塗り上げてある。とても低い。(「床」断面展開図)
その上落し掛けとの差は13センチほどで正客の座でなくても天井が丸見えだ。高くできるのにわざと低く作っている。何故だろう。しかし竹小舞の下地を作っていくに従い、その訳に気がついた。天井の低いことが逆に良いのだ、この方が囲み感がはっきりする。土壁の小空間がこちらに開いているように感じられた、とても美しかった。さすがに利休だ。
以前、「待庵」の図面を起こしたのは、その美しさに何らかの比例的な法則があるのでは、と思ったからだ。率直に言うと「床」の床框から落し掛けまでと、間口との比率が10/8で作られていて、その比例が美しさの鍵ではないか。作る前にはそう目論んでいた。でどうだったかというと、
残念ながらそんな目論見はすっかり外れてしまった。実は、そっくり真似するのが嫌だったから落し掛けの高さは自分で決めることにした。現場に現物模型を作ってみて、立ったり座ったり近くで見たり遠ざかったりと、あれこれ吟味したけれど結果的に「待庵」とほぼ同じ寸法となった。やはり同じになるんだ、と複雑な心境だった。というのも「踏込み床」形式に変更したため、2寸5分(76ミリ)の床框を作らなかったからだ。自分から比例の根拠を台無しにしていたのだ。しかしそんなことはどうでもよかった、落し掛けの高さは開口部分の比例からではなく、自分の目の高さとの相対的な位置によってしか決定できなかったのだ。それが結論だった。
「二畳席」に坐ってみる。
二畳の広さは決して窮屈ではない、三人で入っても余裕がある。天井高が5尺9寸7分(1811ミリ)しかないのにだ。
今度は一人だけで入ってみる、静かに坐って自分自身がどんな鑑賞の仕方をするだろうか。
最初は、床柱を眺めながら床飾りと軸に目が止まる(当然だ)しばし鑑賞する、それから、じっとしていられないように、塗り上げの天井を追いながら、落し掛けが床柱に取り付くところに辿り着く、こんどは洞庫枠の角に飛びうつる、そして障子枠の角を一瞬見るようにして、障子の明るさを感じながら、ゆっくりと右側に流れて床柱のあたりに辿り着く。 たとえばこうだった。
設計段階で障子と洞庫を「つかず離れず」の距離に置いたこと、枠の角寸法をを調整したこと、そんなことが重なり合って一瞬留まるように流れていく視線の動きを作りあげていた。
「視線の流動」が茶室の中にあると言われている。
こんな感じを言うのだろうか。まあしかし、洞庫と障子だって明らかに動きがあるように配置しているし、「床」だって向かって右によせられているのだから、動きが生まれて当然だ。日本の伝統的な茶室の作り方はこのような非相称性(左右対称でないことだ)、あるいは不均衡が背景にあって、流れるような視線の動きをつくり出す。茶室研究家「堀口捨巳」は茶室の特性の一つをこう分析した、納得できる話だ。しかし何故そうつくろうとするのだろうか。 

山桜が拙庭にある。樹齢は82歳だそうだ。窓をあければ目の前は桜で埋め尽くされている。時々仕事をせずに何とはなしに見ている時がある。そんなとき、枝から枝へ、花ある時は花から花へ、見るものが止めどなく移り変わっていく、どうしてなのかと自分が恥ずかしくなるほどだ。しかし、これは人間の生まれながらの習性で、比較的閉ざされた自然空間では特にそうなると肯定するしかないようだ。うまく説明は出来ないが、茶室が作りあげている静謐で心落ちつく空間は、こんな人間の習性、あるいは特徴の深い理解のうえに成り立っているのではないだろうか、 と思った。
   

三階居間
深い軒先のむこうに田園調布の緑が美しい。壁は漆喰と土を混ぜ合わせた大津壁、白すぎる漆喰を土の色で落ち付いた印象に変える。床は本栂無垢板、名古屋の材木商に作ってもらった。美術品がゆったりとした空気感を醸し出している。茶室は写真右後ろに面している。
「二畳席」茶室を躙り口の横から見たところ
床柱は古材、相当の年数の経ったものだった。壁は土壁中塗り切返し仕上げ、香川県の土だ。竹小舞を組んで本格的な壁下地を作ったので時間が経つと錆土に美しい斑点が生まれる。「床」は「踏み込み床」として、仕上げは黒漆喰を研ぎ出したもの。写っていないが天井は黒部杉のへぎ割り板、木曾で作っている職人からのものを直接手に入れたものだ。
茶室下地窓を横から見たところ
下に見えるのは躙り口の扉を外したところだ。
柱寸法は2寸8分(85ミリ)で加工済みだったが、後からこれより寸法の小さい床柱を使うことに変更した。このため加工済みの柱、敷居、枠の全ての部材を2ミリ削り直してバランスを取り直した。
提案したときの大工の顔が忘れられないが、直してほんとによかったと思っている。
ご挨拶
年初の挨拶に、この通信をお送りしようと思っていたのですが。
文章に慣れない上、茶室という度量を越えたテーマを書こうとしたため、一月の末になろうとする時期に、挨拶のお便りをお送りすることになってしまいました。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
今回茶室を紹介した「田園調布の住宅」は、じつは 2007年に竣工したものです。これ以来、茶室や小間のある伝統的な工法を取り入れた建築の仕事をいろいろ頂くようになりました。銀座や京橋では古美術店を数店作らせて頂きました。古美術の好きな方たちは凝り性の人が多いのでしょうか。今までは「木村さんそんなに凝らないでね」とよく言われましたが、最近では、逆に一生懸命凝って考えて丁度のような有様です。大変ですが楽しく仕事をしています。
茶室を設計するようになって、現場で大工に直接指示したり、場合によっては現場に原寸模型を作って検討を進めていくことが増えました。一方、設楽が現場の取りまとめが上手くなってきているので、規模の小さなものは直接施工をするようになりました。
現場監理にたくさん時間を使う自分にはこの方がかえって合っているようです。
去年から湯布院に寺子屋をつくる設計をしています。古い車で何度も往復 2500キロになる旅行を楽しんでいます。その途中で吉野の磨き丸太の生産者を訪ねたり、島根県の瓦業者で90年前の古瓦を見つけたり、そんな毎日です。
とりとめのない話になってしまいました、あらためて今年も宜しくお願いします。

 2010年 晩冬 
              木村優 / 番章子 / 設楽敏生

洗足池病院 古今
西川美術店
古美術 祥雲
あとがき
通信#4をお送りして自宅の紹介をしましたが。去年の花見で親しい人と取った記念写真です。こんな様子で 4月の前半は仕事を休んで花見に明け暮れました。「花見のために此処に住んでいるのかしら」と思ったほどです。 沢山の人が来てくれることがこんなにうれしいとは思いませんでした。
俳句のほうは、思いがけずも続いています。光栄なことに、桜の咲く頃だけは、自宅で句会を開いてもらっています。
3月に入ると桜がいつ咲くかの心配が始まります。都合が悪いことに山桜は染井吉野より遅れて開花するのです。そんなことに気を揉みながら、仕事をしたり、珈琲を焙煎したり(これも続いている)と、気ままな暮らしをしています。
表紙写真のように床は未だコンクリート剥き出しのままで、少しずつ手を入れてと思っていますが、すでに作ったものの補修も始まって、「いつになったら完成するのだろうか。」とちょっと焦たりしています。

ホームページを久しぶりに更新しました。通信 #5を出すのをサボっていた間に作ったものも掲載してあります。この通信にも何枚か写真を紹介しましたのでご覧ください。