#9 古典文学と竹茶杓
左 村田珠光作 竹茶杓 銘・茶瓢 長17.3cm (香雪美術館)
中 武野紹鴎作 竹茶杓 長19.8cm (東京国立博物館)
右 千利休作 竹茶杓 銘・ゆがみ 長17.5cm (永青文庫)
古いものをもう一度美的な対象として把握しなおすというのは日本では昔からやられていることである。いや、より積極的な意味で、古くなっていくもの、衰えていくものに独特の美意識を見出してきたといったほうがよい。ほとんどの人が学校で習うあの有名な『徒然草』に、次の文がある。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。 雨に対(むか)いて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくえ)知らぬも、なほ、あはれに情(なさけ)深し。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)散り萎(しお)れたる庭などこそ、見所(みどころ)多けれ」

吉田兼好は、満開の桜、満月の美しさだけでなく、時雨雲のあいまに見え隠れする月、咲こうとする桜の梢のふくらみ、花が散り萎れた庭の風情について、いっそう見どころがあるという。古くなって衰えるもの、陰りのあるもの、これから始まらんとするもの、移りゆく時間とともにあるものに、満月や満開の桜とは別の余情の美を見出すのである。『徒然草』から200年ほどして千利休の師武野紹鴎は、藤原定家の一首を「わび茶の心」にたとえた。

「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」

この歌は、花や紅葉など何も無い粗末な海辺の小屋の冷えさびた風景を歌ったもので、紹鴎は当時の高価な舶来唐物の骨董を中心とした東山茶道に対し、草庵茶室を創案し簡素で精神性を重んじたわび茶の心境をこのような形で説明したといわれている。ここにあるのは『徒然草』よりもいっそう失われた寂しい景色についての共感であるといえる。 面白いことに、この文と歌に共通なのは、隠されて、失われていること、今はまだなされていないことの記述で、いわば「隠されることの美意識」についての思索である。しかもこの美意識は千利休や松尾芭蕉など後世の文化を担った人たちに引き継がれ、その後の時代と文化に大きな影響を与えるのである。

話はかわるが、武野紹鴎は竹の節止め茶杓の創案者としてもよく知られている。もともと天台僧の栄西によって中国から薬としてもたらされた茶には、以来、象牙の薬匙が用いられてきた。これを紹鴎の師である村田珠光が竹で代用し、紹鴎が竹の自然なたたずまいを残した節止めの茶杓を考案して、さらに、利休が節の位置を中央部にずらして中節の茶杓を作ったのである。私たちがいま使っている茶杓はこの利休考案のものである。 そして、この茶杓のデザインの変遷は、そのまま現代の私たちのデザインに繋がっているといっても良いような興味深いものである。 珠光が作った象牙の茶杓は、中国からの薬匙の形式を残したもので、きっちりとした彫刻的な輪郭を持っていて、表面から材料の中心に向かって質量がぎっしり詰まっているような表現がされている。全体の太さの変化、手元端部を斜めに切り落とす仕方、いずれにも彫刻的な吟味がよく成されていることがわかる。まるで、台湾の故宮博物館にある宋時代の緻密で均整の取れた陶磁器を見るような印象がある。ここでは内部と表面は彫刻的な一体として完成されていて、明確な造形表現となっているといえる。

さて、紹鴎や利休が作った節付けの茶杓を、こうやって見比べると、大きな違いがあることがわかる。ここでは象牙の茶杓に見られたような彫刻的な扱いはされておらず、表面と内部の関係が失われていることで、いってみれば切り出された竹の表面だけで出来ているようにさえ見える。さらに、中節の部分がいっそう竹の表面であることを強調する。このため私たちの関心はこの茶杓を見ながら常に材料となった、もとの竹に移っていこうとするのである。 中心が空洞である竹を使っても必ず材料が強調されるというわけではない。たとえば、別の事例として珠光の作った竹の茶杓を対比してみるとよくわかる。先端がスプーンのような見なれない形をしていて違和感を抱くが、しかし匙のように茶を掬うにはむしろこの方が機能的であるともいえる。違和感を抑えてよく観察してみると、長く伸ばした二つの楕円形を組み合わせたこの茶杓は、とても柔らかい印象を作り出していて、手元部分の柔らかい丸みに横からそっと手を滑らせるような感じがある。 ここでは竹はあくまでも道具を成立させるための材料に過ぎず、茶杓という道具としての機能が優先的にあらわされている。そのため見ているほうは原材料としての竹に関心が移っていかないで、一つの道具としてこれを見るのである。

もう一度、紹鴎や利休の茶杓に話を戻すと、ここにあるのは切り出された竹の自然さを残しながら、最小限の手続きを加えることによって茶杓として完成させるという方法であって、普通に道具を「デザイン」しようとするときには特殊な方法といってもよい。むしろ珠光のような竹の茶杓の方が「デザイン」として一般的といえる。 紹鴎や利休の茶杓には人為性、人の作ろうという意図を抑制し、あるいは隠して、その分を自然の側に還元していこうという志向が働いている。 『徒然草』や定家の歌に見出された、隠されること、失われることによって生み出される余情の美に対する考えは、茶杓の造形においては、作り出す側の作為の抑制となり、意図を隠すということで現れているといえる。 そして、次に話はすすんでいく。このような志向がなぜ生まれてきているのか、この作為の抑制、自然の側への還元的志向は、造形上、工芸を作っていくうえでどう働いていくのか、それは現在にもつながっているのか、と。
* 文中、引用は岩波文庫版『新訂 徒然草』および『新訂 新古今和歌集』
によった。