#4 セザンヌと桂棚 その2
「桂棚」を初めて眼にした人は、たいていその技巧的で複雑な感じに抵抗を持つけれど、一方でこの複雑さには何か隠された理由が存在しているのではと思い、同時に「上段の間」全体に流れのようなものがあることに気づくのである。 「桂棚」とは、桂離宮新御殿にある違い棚と袋棚を矩形に組み合わせたもので、隣にある櫛形窓と共に上段の間を形づくっている。建造されたのは寛文3年(1663年)頃といわれ、今から約340年ほど前のことである。本欄第2回で紹介した利休形の「桐袋棚」にあらわれた非相称の造形は、それから80年後のこの時代にはすっかり定着して「桂棚」では複雑な立体的構成を形づくっている。
「桂棚」写真提供 新建築写真部
右側からアプローチしていくと、最初に眼を引くのは、上部が円弧状となった櫛形書院窓、そこから順に違い棚、正面の袋棚、最後に円窓に唐山水画が描かれた開き襖へと視界が広がっていく。 それにしても不思議な形式を持った棚で、窓横から始まる奥行き方向の違い棚はそのまま宙吊りの戸袋に繋がっている。右上の二つの板戸棚と格狭間を透かした小棚を含んだ、矩形のひとまとまりは別の家具のようでもある。 じゃあ、単にバラバラの造形かというと、そうでもない。 全体としては平面性の中に還元されたような安定感があって、破綻しているわけではない。しかも、全体が関連付けられ、流れが成立している。 左上の宙吊りの戸袋から時計回りの螺旋を描くように、円窓の山水画に向かって自然に目が移っていくのである。中央の小さい四角の空隙を軸にするように回転していくのである。また、同時に山水画から左回りに巻き戻されていくようにも、視線は回転していく。 前回に紹介したセザンヌの「リンゴとオレンジ」にも、同様の右回りの視線移動があったことを覚えているだろうか。やはり中央部にモチーフの描かれない空隙の部分を軸として回転していくのである。モチーフを接近させ、視線をスムーズに連続させていることも同様である。 セザンヌが「リンゴとオレンジ」を描く230年ほど以前、既に「桂棚」において同様の視線移動についての吟味があったと言ってよい。あるいは、非相称の形の追求が早くから始まった日本では、結果として自由に対象を流動していく視線に対する考察も早かったと言うべきだろうか。 「桂棚」をよく観察してみると、ほかにも特徴があることがわかる。棚は何種類かのソリッドやヴォイドの矩形によって構成されている。その中のいくつかはそれぞれの矩形と縦横比の同じ比率によって関連づけられている。つまり、相似形によって互いに関連づけられているのである。
桂棚姿図
たとえば、左上の宙吊り戸袋に対し、右に隣接する開き扉は縦横とも半分の寸法である。同時に、この棚を入れた空き箱状の矩形部分はこの戸袋と縦横同寸法、つまり同じ矩形である。1/2比率のソリッドの棚の背後に、左と同一で1/2の棚の倍の虚のヴォイドを隠しているのである。このように虚と実の関係をつくり出しながら、結果として一つの造形をつくり出す様子は、利休の「桐袋棚」にも見られる特徴であるが、ここでは「桂棚」全体、あるいはこれを含んだ「上段の間」全体に、このような仕組みが隠されているようにも思われる。  たとえば、矩形とは関係ないが、櫛形の書院窓は半径6尺3寸で上段の間の短辺寸法と同じで、空間の寸法が開口部の円弧状部分と関連づけられている。 立体的な前後関係にも相似形が使われている。たとえば、宙吊り戸袋の前にある違い棚の垂直板部分は、戸袋の1枚の襖とほぼ同じ比率であって、前後方向にズーミングしていく印象をつくり出している。 さらに探していくと、宙吊り戸袋と直下の棚部分の実・虚をあわせた縦横比が右中段の引き違い板戸と同じ比率であると指摘することも可能である。 たぶん、このような相似形の使用は、カメラレンズのズーミングの効果のように、擬似的な遠近感と目を移すたびに発生するフォーカシングの確認を必要とし、視線は両者のあいだを何度か往復することになる。 一方で背景を支える虚の箱や、それとははっきり理解できない隠された秩序は、幾種類かの複雑な形が生み出すズーミングの効果や、往復あるいは回転する視覚の運動がもたらす不安定を背景で図象的に安定させているといえる。 「桂棚」を観察するとき、小空間のリズムがあり、同時代の他の棚にはない新鮮さと、軽やかさが感じられ、見飽きないコンポジッションを感じるのはこんな理由に支えられているように思われる。