#2 茶道具にみる非対称の美意識
桐袋棚

「利休形」とは、千利休が寸法型や切り型を与えて作らせた、釜、建水、棚、炉ぶち、炭道具、懐石道具などをいう。左頁の写真は、その一つ「桐袋棚」である。袋棚とはもともとは左右対称のもので、下部は引き違いの紙襖であったのだが、右側の水指しの入る部分の戸をなくし、右側の中板を持ち上げて高さの違いを格狭間(こうざま)の透かし板に改めたものである。左下の地袋は木製の「けんどん」(突き上げ式の戸)とし、材料は桐の木地仕上げである。
「桐袋棚」は、今見ても端正でシンプルな美しさを感じるもので、この非対称の形は、私たちのデザインの原点の一つであるといってもよい。唯一の具象的な形である格狭間の透かしは、蓮弁をかたどった古くからあるものだが、単なる平面的な抜き型になっているところに大きな特徴がある。棚の真ん中の側面部分にあり、装飾的なものを平面的でグラフィックに扱うことによって、強い求心性をつくらずに、面と線の関係のなかに組み入れている。
全体が回転していくようなこの非対称の形は、しかし一方でバランスしているように見える。
非対称の形を扱って、しかも端正なバランスをつくりだす。このようなことは、ずっと以前から日本の文化にあるように思いがちだが、意外なことに、はっきりとした美意識として表れてくるのは室町時代から桃山時代にかけてであって、茶の湯や華道、また住宅様式の中心をなす「床の間」の成立と同じ時期なのである。
「桐袋棚」の美しさは、よく吟味されたプロポーション、部材寸法、仕口の精密さに支えられているということが出来る。しかしながらそれだけではない。非対称形でありながらよくバランスの取れた形になっているのには理由がある。
寸法は幅769†@・高さ597・奥行き383である。全体の幅と高さは畳寸法や機能的理由によっているが、その上でかつ、整数倍比率によって決められているのである。
左下の戸袋寸法は、棚幅のちょうど半分で、当然右側部分も同じ幅になっていて、かつ、右側部分の高さはその幅と同寸法となっている。つまり右下に正方形がつくられていて、同じ大きさの正方形が左側の戸袋の上部にも存在する。右下と左上の部分に同寸法の正方形をもうけて、非対称形のもっている不安定感をバランスしているのである。
正方形や整数倍比率の簡潔な形は、誰でもすぐに理解することが出来るので視覚的に安定する。この棚の特徴的なことは、空隙の部分に隠すように立方体をつくりだして、その廻りに結果的に物質の秩序をつくりだしていることで、地袋といった直接的に形がわかるものの方ではなく、空隙の部分、ネガの部分によって間接的に秩序をつくりだしていることである。
しかも、このような間接的、抽象的な方法は、私たちの文化がもっている大きな特徴の一つでもある。
この非対称性に対する嗜好がなぜ生まれてきたのかということになるのだが、その理由を、岡倉天心は禅宗思想の「空」の考え方が茶の湯に反映していると述べ、堀口捨巳は禅宗思想によって助長されはしたが、もともと民族性に根ざした特殊な好みであったと述べている。
このことをコメントする立場ではないが、先月紹介した李朝家具を考えても、禅宗思想をはじめとする東洋的な思考のなかに、意味や人為的な表現の抑制が存在していて、これが直接的表現を抑え、間接的で抽象的な表現を形づくっているといってもよい。
このような非対称性は、結果的に部分相互の構成的関係をつくりだす。利休の桐袋棚を観察してみると、眼は部材それぞれの動きを追いかけて接合部のディテールに立ち止まる。つぎを追いかけて新しい接合部に立ち止まる。またつぎを追いかける、ということをくりかえす。そして改めて全体の比例を吟味する。視線は絶え間なく動き回り、印象をつくり上げる。
このことは、結果として周辺部につくりだす部材間の関係やディテールにより強い関心と意味をつくりだしているように思われる。

李朝飾棚

さて、上写真の文匣(moon-kap)は、18世紀から19世紀にかけての朝鮮王朝時代のレプリカである。寸法はH450・W1200・D330で、左右対称の形式の文房家具である。抽斗部分の寸法を小さくして、中央につくりだされる空隙部分に十分な大きさを残している。まるでこの家具の主役は中央部の空隙であって、抽斗はこれを損なわないように必要最小限にもうけた、そんな様子である。 このような李朝の形を見ると、なおさら私たちのよく知った非対称の形の間接的で構成的なありさまが、一つの歴史的な契機とともに生まれて来たものであることに、改めて深い感慨をいだくのである。