スタンダード展
ピンポンギャラリー  
ピンポンギャラリー#2
ピンポンギャラリー工事中写真
スタンダード展会場
「貧しい芸術」と古い家屋の
リニューアル
アルポーベラとピンポンギャラリー
TEXT BY 木村優


使い古された木材、石のかけら、ぼろ布など自分の身の回りにある「捨てても惜しくない日常の事物」を加工せず美術館に持ち込んでアートを作り出す。1960年代後半にイタリアで生まれたこのような美術を、美術評論家のG・チェラントは「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」と名づけた。事実、その代表的な作家であるJ・クネリスはどこかで拾ってきたような廃材のかけらを並べただけの作品や、美術館の開口部に人の身長より高くぼろ布を積み重ねただけの作品を作っている。人間の生活の結果、不要となり廃棄することになったもの、日常的でそれ自身には価値のないものに着眼し、
美術的なテーマとした運動はこれ以前にもある。
たとえば1950年代に自動車の廃棄部品などの捨てられた工業生産品を集めて美術作品とした「ジャンク・アート」と呼ばれるものがそれだが、「アルテ・ポーヴェラ」はよりいっそう日常的な事物に注目し、そのことの意味について美術として深く吟味を加えたものだったといえる。

不思議なことにぼろぼろの建物の壁の一部、あるいは解体された建物の廃材であっても美術館のなかに慎重に配置されると、「ぼろぼろ」だとか「廃材」だとかといった現実性や材料としての評価から離れて、そのもの自身が作品として別の意味を醸し出すようになる。つまり、色や形、持っている雰囲気など、それ自身が一つの独立したイメージや気分を有する新しい視覚的な作品となる。それだけではない。かつて人間の生活の一部であったものは過去の記憶をともなっていて、人間と事物とのさまざまな関係、そして事物に向けられる人間の感受性をも思いおこさせるのである。

別の観点から言うと、私たちは通常古いものを見るとき、古美術、骨董品、価値ある古民家といった工芸的な価値観を一緒にして見るように教え込まれているが、そのような価値付けをせずに、日常的に古びてしまったものを、直接再観察する方法をアートとして提示したといってもよい。

2001年直島コンテンポラリーミュージアムからスタンダード展の会場計画の依頼を受けたとき、会場施設の対象になった町中の民家、空き家、旧施設といったものの大半は、取りたてて文化財的・工芸的価値を持っていなかった。それどころか、すでに壊れ始めている家屋もあった。たとえば、旧卓球場(現ピンポンギャラリー)は雨が漏り、天井のベニヤは腐って垂れ下がり、床は朽ちて踏みぬけてしまう。

人間の使っていた空間がその気配を残しながら、植物や、微生物や、蟲などによってゆっくりと腐朽されていく、そんな様子だった。

しかしながら再生させるにあたって決めていたことは、古いものに対して新しく建物を付加したり、まったくコード進行の異なった現代的な手法を対比的にもち込んだりはしないで、古いものをそのまま現代的な視点で扱っていこうということであった。というのも、対比的にすれば建築としては一見わかりやすくなるが、これは、旧卓球場を必要以上に過去のものに見せるし、つい最近まで生活の一部でもあった家屋が現在と無関係のものとして扱われてしまう。それになによりも、展示される現代美術がこの家屋の過去を引き継いだ時間と直接出会うほうがより望ましいと考えたからである。

床をはがし、間仕切壁を取り払い、天井板を取り去って、さらにここに抽象的な白い壁面を挿入していくと、人が使っていた気配、最初に抱いたあまりにも濃厚な家屋の雰囲気、そういう直接的で具体的な様相は意外にも簡単に弱められていく。それぞれは単なる古い柱、梁、壁板、窓に変わって、このペンキの剥げたのも綺麗だとか、建具の古いのも味がある、そんなふうに見えてくる。

「アルテ・ポーヴェラ」が美術館という非日常の場所に、日常の事物を入れて、事物の新しい見方を提示したとすれば、ここではちょうど反対に、古い家屋の日常性を改修によって希薄にして、そこに新しい非日常のギャラリー空間を作り出した。
言いかえれば、家屋として分かちがたく結び付けられていたそれぞれの部分、事物を、間仕切りや天井を取り払い、
展示のための大きな抽象的壁面を挿入することによって、隙間を作り出し、結果として、古いものを現代的な感覚として取り出して見せたといえる。たとえば、ぼろぼろの柱が彩色されたオブジェのように見えるといったら言い過ぎだろうか。実際にそこで現代美術が展示されると、建築に残された過去の時間と、美術の中にある現在は一つの空間に交じり合って、人間が作り上げてきた文化や文明についてさえ、あらためて考えさせられるように思われた。

一方でこのような試みはいろいろな設問を用意する。美術館にただ古いものを入れることが美術なのか、工芸性とはどういう関係にあるのか、古いものを見立てなおすのは日本では昔からやられていることではないか。